社長ブログ

野口千恵子さん

投稿日:2022.09.04

野口千恵子さんに学ぶ

野口さんと初めて出会ったのは2018年、
長崎でご縁紡ぎ大学長崎校を開催しているときでした。
当時野口さんは勤めていた長崎の病院を退職し
生命保険の会社に就職して1年目ぐらいだったかと思います。
当時、話しを聞いた時には、
「勤めていた病院を辞めて保険会社に就職するなんて、なんでだろう?」
普通逆ならあり得る話しだなと思っていました。
それからしばらくして、野口さんが保険会社で
全国のナンバーワンになったと人づてに聞きました。
当時あまり野口さんと接点が無かった私は、
「野口さんってすごい人脈を持っていたんだ!旦那さんの人脈かな~、」
などと、野口さんの転職の理由を知らない私はそんなふうに思っていました。
なぜなら、私の周りには保険関係の仕事をしている人達がいますが、
業績が上がらずけっこう苦労をされている方々がいらっしゃいましたので、
よっぽど太い人脈か何かコネでもない限り
入社2年目の新米社員が全国1位になるなんて、
まったく想像すら出来ませんでした。
しかし今回、同友会で野口さん発表を聞いて、
そうでは無いと言う事を知ったときは本当に驚きました。
そんな野口千恵子さんと言う人物がどんな方か、
私が分かる範囲で紹介してみようと思います。

野口千恵子さん
1981年11月に長崎市に誕生
現在40歳
身体障害を持たれているお兄さんと、妹さんの3人兄妹。
お父さんは精神疾患からアルコール中毒になってしまい、
野口さんが小学校の時には、給料日になると父親と母親の
度重なるケンカを目のあたりにしながら過ごしてこられたそうです。
また、親の関心は身体障害を持つお兄ちゃんと妹さんにどうしてもいくので、
千恵子さんは、かまってもらえずにいたので、
自己顕示欲と承認欲求が強かったそうです。
性格は真っ直ぐで天真爛漫、
負けん気もすごく強く、
思ったことは猪突猛進的に突き進む、
そんなかなり前向きな性格だったそうです。
小学校でも、ある事でかなり目立つ存在になり、
それが原因でクラスの女子全員からいじめにあった事もあるそうです。
高校は諫早高校入学、
ブラスバンド部に所属して部長を務められました。
部長になってからは、365日休み無しで
ブラスバンドの大会優勝を目指して
にみんなを引っ張るも
気がつけば誰も付いてこなかった事もあるそうです。
高校の時に両親が離婚、
お母さんの少ない稼ぎだけで3人の子どもを育てられたそうで、
金銭的にもきびしい中で少女時代を過ごされたそうです。
幼少期からお金の大変さを経験されたからこそ、
お金の大切さが身にしみて分かられて来られたと思います。
高校卒業後は、金銭的に負担をかけたくないと思い、
一度は進学を諦め就職されましたが、
バイトで貯めたお金で長崎医療センター
付属看護学校へと進学されました。
そんな矢先、看護の実習中に
お母さんが実習先の病院に運び込まれ、
そこで突然お母さんは癌が発症し、
あと半年ししか生きられないとの余命宣告を受けたそうです。
この世で1番頼りにしていた母親がいなくなる、
青天の霹靂のような衝撃と悲しみに襲われました。
これから、お母さんの入院の事や妹さんの受験の事、
障がいを持つお兄さんの事や、お金の事など、
二十歳そこそこの女の子が、
誰も頼る身内がいない中で色んな事を
決めていかなければならなかったと思います。
本当に大変な苦労と色んな決断を
されてこられたかと思います。
でも、こんな大変な経験をされたからこそ、
その後の人生でどんな逆境にもめげない、
心の強さが培われてこられたかと感じました。

その後お母さんは千恵子さんの看護学校の卒業式に
点滴をしながら車いすで出席され、
そして半年後に50歳で永眠されたそうです。

卒業後、長崎国立病院で看護師として勤務され、
患者さんに寄り添う看護を目指して
日々活動されてこられました。
しかし、患者さんに寄り添えば寄り添うほど、
職場で決められた規則から逸脱する事もあり、
そんな姿を批判するような指摘も受けるようになり、
本当にこのままで良いのかと考えるようになったそうです。
そんな今の仕事に違和感を感じながら、
そんな気持ちから抜け出すヒントを探す為に
色んな人から話を聞きたいと思い、
SNSなどで多くの人とつながり、
色んな話しを聞かれるようになったそうです。
その中に運命の出逢いがありました。
ある日、ジブラルタル生命の本部長から
連絡が来て一度会うことになりました。
保険の話しには興味がなく「なに話すんだろう」と思いつつ
話しを聞かれたそうです。
人々の暮らしの中での保険の役割や
保険業界の現状を聞いたりしていましたが、
3.11東北の大震災の時に震災された方々に
支払われた保険金の事などを聞いてると、
涙が止まらなくなったそうです。
そして何よりも本部長の人柄と人間力の魅力に惹かれ
1時間ぐらい話しを聞いているうちに、
「私が保険業界を変える!」との壮大な思いが芽生え、
天職と思っていた看護師すらも辞めてまでも
保険業界に転職する決意をされたそうです。

その決意から1ヶ月後には、医療センターを何とか退職し、
2017年12月にジブラルタル生命に入社されました。
そして入社1年目には、ルーキーコンベンション(新入社員が取る賞)で
全国2位の成績を取られました。
長崎でこの賞が取れたのは初めての事で、
会社のみんなは喜んでくれたのですが、
野口さんは違ったようです。
「何で1位じゃないのか」と、悔しかったそうです。
そして子ども達からも「ママ、なんで1位じゃなかとね?」
と言われ「じゃあママ来年は1位を目指すけん」と
子どもの頃からの負けん気の強さに火が付いたそうです。
そしてまた、自分がチャンピオンになることで
リクルートしてくれた会社にも「恩返しが出来る」と思い
チャンピオンになる決意が固まったそうです。

話しによると、その時は本当に死ぬほど働いたそうです。
休みも無く寝る間も惜しみ365日を400日ぐらい働き、
「チャンピオンになる」という張り紙を、
トイレや玄関、寝室や車の中までびっしり貼って
それを読み返し脳にしみ込ませ、
また通勤の車の中で優勝スピーチの練習を、
優勝したつもりで涙を流しながら
毎日通勤したそうです。

そして野口さんは、私が思っていたのとは真逆で
人脈という人脈はまったく無く、
元の職場の方でも、数名の方は好意的だったそうですが
ほとんどの方からは話しを聞くのも断られたそうです。
また野口さんは飛び込みの営業とかは出来ないので、
人からの紹介をして頂く紹介営業をされたそうです。
ただ「保険の紹介をさせて下さい」とかでは
絶対に誰も紹介とかはしてくれません。
そこで野口さんが売るべきものにしたのは
保険ではなく自分自身。
「野口さんにこの人を紹介したい」、
「野口さんにまた会いたい」、
「野口さんなら安心して人に紹介できる。」
そんな風に言われるように、
自分を磨き、いろんな事を吸収して、スキルを高め、
人間力を上げながら人との出逢いを広げていかれました。
その結果、色んな方に話しを聞いてもらう事が出来て、
業績にもつながり、
最終的には全国8000人の社員の中でチャンピオンに
なることが出来たのではないかと思います。

そして、
チャンピオンなったからこそ、
見える景色が見えたり
みんなから注目されたり
良い事もたくさんあったそうです。
でも逆に、「出る杭は打たれる」、みたいなマイナス面もあり
すごく風当たりが強くなったりした事もあったそうです。

普通でしたら、又来年もまたチャンピオンを
狙いそうなのですが、野口さんは違いました。
野口さんにとってチャンピオンになる事は1つの目標であり、
野口さんの最終目的は保険業界を「みんなが素敵な仕事だな!
と思える職業に変える」事だそうです。

チャンピオンになると、自分の会社はもちろん、
全国の色んな企業や団体、
時には他社の保険会社から
「公演をして下さい」とのオファが来るそうです。
野口さんはそれらの依頼を断らずに、
ボランティア活動として色んな所に出向き
業界の未来の為に、自分の思いを伝えられるよう
積極的に活動をされています。

そして自分をリクルートしてくれた会社で、
職場の仲間やお客様、そして家族との絆を大切にしながら、
保険業界の未来を変えていこうとされています。

そんなスケールのでっかい夢を持ち、
その実現にむけて活動されている野口千恵子さんの
の活躍にも今後ますます注目していこうと思います。

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